アエリシアは空を見上げる。
琥珀色の瞳に星が映り込み、生きている火花のように揺れている。
同じように、空を仰ぐ。
このままずっと、穏やかな夜に身を委ねていられそう……
そう思った瞬間、はっきりとした音で、お腹が現状を訴えた。
アエリシアが軽く笑う。
からかいのない、素直で楽しげな笑い。
「……あら。
どうやら、体のほうが先に答えちゃったみたいね。」
彼女は袋に手を入れて探すが、すぐに小さく首を振る。
「ごめんなさい。今は何も持ってなくて。
少し散歩に出ていた時に、あなたが倒れているのを見つけたの。」
少し考えたあと、安心させるような笑顔が戻る。
「でも、小さな避難所を見つけたの。
ここから、そんなに遠くないわ。」
押しつけがましくない視線で、こちらを見る。
「歩けそう?」
支えられて、ゆっくり立ち上がる。
動きは確かで、やさしい。
体はまだ少し痺れているけれど、壊れている感じはない。
ただ……長い眠りのあとみたいに、少し錆びついているだけ。
「大丈夫そうね。」
「じゃあ……行きましょうか。」
夜の田舎道を進む。
なぜか懐かしい小道が、自然と足元に現れる。
周囲の木々は脅威を感じさせず、枝が絡み合って、守るような天井を作っている。
星明かりが葉の隙間から差し込み、地面に揺れる模様を描く。
夢の中を歩いているような感覚。
やがて、かすかな音が聞こえてくる。
小川だ。
水は穏やかに流れ、星の映り込みが、ゆっくりと撫でるように揺れる。
知らないうちに何度も立ち止まり、その光景に見入ってしまう。
ただの田園風景。
特別なものは、何もないはずなのに。
それでも……
アエリシアの存在が、すべてを変えている。
近すぎず、離れすぎず。
時に黙り、時に小さく鼻歌を奏でながら、歩調を合わせてくれる。
さらに道を進むと、視界が開ける。
遠くに見える丘は、驚くほど柔らかな形をしている。
まるで大地そのものが、優しく撫でられたかのように。
木々の間に、淡い光が現れる。
弱く、ぼんやりと。
星明かりが窓に反射する。
一軒の家が姿を現す。
静かで、
人の気配はない。
「着いたわ。」と、アエリシアが微笑む。
「来て。怖くないから。
遠くから見るより、ずっと温かいの。」
迷いを見抜いたかのような言い方。
表情や沈黙、言葉にしない思考まで読み取る、不思議な力がある。
近づくにつれて、家の印象が変わっていく。
丸みを帯びた、どこか愛らしい形。
先ほど見た丘に、どこか似ている。
まだ光も音も漏れてこない。
アエリシアが、そっと扉を押す。
音もなく、開く。
閉ざされた扉の下に、手紙が滑り込むように。
そして――
部屋が、ぱっと明るくなる。
色とりどりの小さな灯りが一斉にともり、
柔らかく、包み込むような温もりが広がる。
生きているような光の絵。
アエリシアは、こちらの表情を楽しそうに見る。
「驚いたでしょう?
何度来ても、飽きないの。」
軽く手招きする。
「さあ、入って。
ここは、旅人のための家。
誰にでも開かれているの。」
肩をすくめて、何気なく続ける。
「好きなだけ、いていいのよ。
掃除も、ベッドも、洗い物も……全部ひとりでやってくれる。」
そして、少し悪戯っぽく微笑む。
「でも、食事はあまり期待しないで。
いつも温かいパンなら、あるけれど。」
テーブルを指差す。
「中身は日替わりよ。果物とか、穀物とか、蜂蜜とか。」
疑念がよぎる。
完璧すぎる。
美しすぎる。
夢?
罠?
それとも……何か裏が?
不安を察したのか、アエリシアは小さく笑う。
「考えてること、分かるわ。」
テーブルに近づきながら言う。
「もう三日近く、ここにいるけど……
代わりに何かを失ったことはないわ。」
少し間を置いて、付け加える。
「あ、ひとつだけあったわ。
小さなメモ。」
それを手に取り、声に出して読む。
「『アエリシア、迷える魂を連れてきたのね。ようこそ。』」
こちらを見上げ、微笑む。
「それだけ。」
背筋に、ひやりとした感覚が走る。
これは魔法?
それとも……
まだ名前を知らない、別の何か?
家は静かなまま。
灯りは優しく揺れ、
そして初めて、空腹が不思議な安心感と混ざり合う。
まるで、
今夜だけは――
確かに、居場所を見つけたかのように。